ハンバーグ師匠がおもしろい!職業は?何故師匠?調べてみた!
どうも。突然ですが、皆さんはこの方をご存知ですか?
そう、「この町も変わっちまったな」のフレーズでお馴染みハンバーグ師匠です。
さて、皆さんは当然のように彼を“ハンバーグ師匠”や“師匠”と呼んでいるのではないでしょうか?
ですが、何故、彼が“師匠”と呼ばれているか皆さんは考えたことがありますか?あなたは、ただ同調圧力に屈し「みんながそう呼ぶから」という理由で彼を師匠呼ばわりしているのではありませんか?
そこで今回は何故彼が師匠と呼ばれ私達に親しみを持たせるのか、また彼の職業が一体何なのかについて考察します。
なぜ親しみを感じるのか?~心理学的アプローチから見るハンバーグ師匠~
両掌を私達に向け写真に写る師匠。その意味とは?
ハンバーグ師匠の鉄板ギャグである「ジュ〜〜〜(熱した鉄板の上で玉ねぎとひき肉をこね混ぜ合わせたものを焼き上げる際に発生する音と、数字の“十”をかけた高度なギャグ)」。
一見無意味に捉えてしまいがちなポーズですが、私が考えるに、このポーズは、ただギャグの一環として行っているのではないのです。
ポーズの意味
実は、心理学的に、手のひらを見せるという行為は、「隠し事はない」という無言の意思表示なのです。つまり「手のひら」を見せるということは、「私は安全ですよ、だから安心してください」と相手に示すポーズであるわけです。
例を見てみましょう。
こちらはお釈迦様の写真です。彼もまた、両掌をこちらへ向け、我々に安心感を与えています。
このように、無意識のうちに、釈尊と同じ仕草をするあたりが、師匠と呼ばれる所以と言えるでしょう。
町を出た理由から考えるハンバーグ師匠の職業~ふるさとを出て~
彼が“師匠”と呼ばれているのは周知です。では何故師匠なのでしょう?
彼は私達に常にこう語りかけます。
この町も変わらねえな… 忘れちまったか?俺だよ俺!ハンバーグだよ!
この発言が一体何を意味するのか…これは彼の職業を明かす上で非常に重要な因子です。
これはあくまで推測の域を出ませんが、上の発言より彼は恐らく、長い間自分の生まれ故郷を離れていたことが分かります。
それは何故か?私は、当初次のように考えていました。
- 何かしらの罪を犯し、町を出ざるを得なくなった。しかし罪を償い、戻ってきた。
しかしこれは間違った解釈でありました。勿論これも可能性として捨てきれない訳ですが、いまいち筋が通らない。何故なら、
- 罪人なのに師匠と呼ばれるだろうか
- 罪人であった人間が、堂々と自分の名を誇らしく言い表すだろうか
よって、私は様々な文献を紐解きました。そして、納得のいく解釈を見出しました。それはこうです。
- かつて少年であったハンバーグは、職人になる為に誰かしらの門を叩き、一人前の職人になって故郷に帰ってきた
と。更にこれを裏付ける決定的な根拠があります。
ハンバーグの起源は18世紀頃のドイツ・ハンブルクでのタルタルステーキとされ、名前の由来もハンブルクが転訛してハンバーグとなったものである。
これは、ハンバーグという名前の由来です。ハンバーグとは、元はドイツ発祥なんですね。
それがどうしたと思われるかもしれませんが、ここが重要です。
ドイツには12世紀に起源をもつ徒弟制度があり、現代までマイスター(親方)制度として継承されている。
ハンバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
点と点が線で繋がりましたね。そうです、ドイツには、師匠のところに弟子として経験を積み、一人前になるとまた自らも師匠になるというマイスター制度があります。
よって、ハンバーグ師匠も、ドイツのハンバーグ職人の親方の下で働き、技を磨き、自身も師匠となったわけです。
つまり、ハンバーグ師匠の職業は.....................................................
ハンバーグ師匠
と言えるでしょう。また彼にはライス坊やという弟子もいることから、後輩の育成にも力を入れている、熱心な人物であることが伺えます。
総括
ここまで、ハンバーグ師匠について幾つかの考察を述べましたが、あくまで“考察’’であり、事実ではありません。ニーチェも次のように言っています。
「真実」など存在しない、あるのは「解釈」のみである
ハンバーグ師匠は、ネット社会である今、現象に立ちどまって「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義は愚の骨頂であると警鐘を鳴らしているわけです。
ドイツで修業を積んだハンバーグ師匠が、ドイツの哲学者ニーチェに触れているのはごく自然であるでしょう。
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